「さそり座の女」で有名な美川憲一さん。オネエキャラで、美川さんには子供がいません。子供がいないのには理由がありました。美川憲一さんに子供がいない理由、生い立ち、家族との関係についてまとめました。
美川憲一に子供がいないのは子供想いだったから!
美川憲一さんには、子供がいません。子供がいない理由は、子供のことを考えた末の結果だったと言います。それには、美川憲一さんの生い立ちや家族関係が大きく関係しています。
美川憲一は23歳OLとの結婚を前提に交際していた!
美川憲一さんは25歳の時に、結婚を前提に23歳のOLと交際していました。友人の紹介で出会った人でとても綺麗な人だったとか。美川憲一さんの母もお気に入りなほど素敵な方だったようです。
2018年9月に放送のテレビ番組「梅沢富美男のズバッと聞きます!」では「とても素敵な方だった」と当時を振り返っていました。70年以上前のことを素敵だったと振り返るほど本当に良い人だったのでしょう。
父親よりも世間で知られているキャラを優先
とても素敵な方と交際していた美川憲一さんですが、なぜ結婚しなかったのかというと、父親としての役割を求めることが無理だったからです。
美川憲一さんは、21歳でデビューして、当時、仕事ではオネエキャラで活躍していました。美川憲一さんは父親としての美川憲一よりも、世間で知られている「美川憲一」を選んだのです。
当時としては、現在のようにジェンダーに対して偏見があり、多様性の社会ではありませんでした。
子供が父親が化粧をしていることでいじめられるのではないか。自分のしたいことをして子供が不幸になることはしたくないという想いから結婚を諦めました。かなり子供を優先した考えを持っていることが分かります。
本当は子供が欲しかった美川憲一。人工授精と代理出産を。
結婚を諦めた美川憲一さんでしたが、どうしても、子供は諦めきれなかったようで、人工授精と代理出産を考えていたようです。
人工授精については、韓国とアメリカで面接までしたようです。しかし、人工出産と代理出産をする相手から「1年に1回は会わせてください」と言われました。美川憲一さんは、自分のエゴで子供をつくることで、子供がかわいそうな想いするのは間違っていると子供は諦めたようです。
美川憲一さんが、子供のことを想うために子供をあきらめたのは、その生い立ちが深く関わっていそうです。
強運により生まれた!美川憲一さんの複雑な生い立ち
美川憲一さんの生い立ちには、母親が深く関係しています。母親が2人、その複雑な生い立ちについて見ていきます。
美川憲一さんの「実の母親」と「実の父親」
美川憲一さんは、1946年5月15日に、長野県諏訪市に生まれました。美川憲一さんの本名は「百瀬由一」。美川憲一さんの実の母親は、「百瀬以し子」さん。育ての母親は、以し子さんの姉の「百瀬米子」さんです。下の画像の左側が育ての母親、右側が実の母親です。
美川憲一さんの実母の「以し子」さんは、当時、新橋の「フロリダ」というダンスホールで社交ダンスの相手役をするダンサーとして働いていました。華やかな人で、人気があったようです。
美川憲一さんの実父は、神田で会社を経営する実業家の男性だったとのこと。
実母の「以し子」さんは、実家の長野から東京へ向かう列車の中で、結婚を前提につき合って欲しいと、実父にナンパされたそうです。「以し子」さんは、実父のことは好みではなかったものの、生活するのに大変だったために結婚前提と言われてその気になってしまった。
実の父親は、実母の「以し子」さんに、住まいを用意し、毎日訪ねてきたが、家に泊まることはなかった。事業が忙しいと思っていたため不審に思わなかったとのこと。
それからしばらくして、美川憲一さんを身ごもったようです。
美川憲一さんが強運の末誕生
実母の「以し子」さんが、妊娠を報告すると、実父の顔つきが変わったとのこと。「以し子」さんは、顔つきが変わったことに気づいたことを実母に気づかれないよう芝居をしたそうです。
お腹がふくらんでくるなか、実母は、実父から「元気な赤ちゃんが生まれるから」とピンクの容器を渡されました。実父からその場で飲むように言われたが、実母は後から飲むと飲まなかった。お腹に赤ちゃんがいる母親の勘のようなもので、その薬は捨てた。
翌日きた実父に「飲んだよ」を伝えると、「ああ、よかった。いい赤ちゃん生まれるよ」を返答が返ってきたとのこと。
渡された薬は、実は流産させる薬で、飲んだと聞いているのにどんどんお腹が大きくなる実母を見て、父親は逃げてしまったようです。
父親に逃げられて、心身共に衰弱した実母に、姉の「米子」さんが、長野で安心して子供を産むように言った。姉は子供がいない自分たち夫婦が面倒を見ると言い、養父も美川さんを育てることをとても喜んでいたそうです。
実母が、生まれて間もない美川さんを抱えて、実父の家に乗り込むと石畳のある立派な家だったとのこと。実父は、家におらず、実父の嫁が出てきたようです。そこで実母は「妻子がある方とは知らずに、結婚を前提と言われたのでつき合いを始めて、この子ができちゃったんです。申し訳ありません」と謝ったそうです。
実母の嫁からは、「夫がこんな罪作りをしてごめんなさい。あなたはまだ若くてこれからの人生があるから、お互いにいがみ会うよりも、夫と別れて欲しい」と頭を下げられた。
実母は、慰謝料を貰って、その半分を姉にあげた。そして美川憲一さんは、姉の元で育てられた。
実母からは、「本当ならこの世にいなかった子」ってよく言われたそう。実の子にいう言葉ではないと思うが、流されていたはずなのに生まれたから運が強い子ということ。美川さんは何か壁にぶち当たるたびにこの言葉を思い出してエネルギーにしていたそう。
実の母親だと気づいたのは中学校1年生のとき
美川憲一さんは、中学校1年生になるまで、育ての母親の「米子」さんを本当の母親と思っていたそうです。隣に住むおばさんに「あんたの本当のお母さんは、叔母ちゃんなのよ」と言われた。衝撃の事実だと思うのだが、ショックは受けなかったとのこと。実母も美川さんを可愛がってくれていて、幼稚園の運動会では養母の「米子」さんの代わりに美川憲一さんを負ぶって一生懸命走ってくれたりしていたから。実母も苦労してやってきたんだろうなと子供ごころに感じたそうです。
本当の父親と合う美川憲一
美川憲一さんが、40代のときに、フジテレビの番組「夜のヒットスタジオ」の「ご対面コーナー」で、実父に会ったそうです。震えて歌うどころではなかったようです。スタッフの方、よく見つけてきましたね。
後日に、実の父親から2人で会いたいと言われ、赤坂の料亭で会ったそうです。父親からは、頭を下げて謝られたとのこと。美川憲一さんは、育ててくれた養父、養母、実母の複雑の想いを想像して、その様子をしっかり目に焼き付けたそうです。それからは一度も、実父への連絡はしなかったとのこと。
その後、異母兄弟に当たる人から、実父の十三回忌の知らせがあり、一度参拝して貰えないかと言われたそうです。実父は「不憫な思いをさせて申し訳なかった」と言いながら亡くなったとのこと。
2人の母親に伝えると、今さらどんな苦しい思いをして美川憲一さんを産んだと思っているの?と。でも、恨んだまま天国にいっていいの?と美川憲一さんが言うと実母は、次の日には美川憲一さんと2人で、お墓参りに行ったようです。帰り道で実母はありがとうと。美川憲一さんがいるのは、実父がいたおかげだから。お墓参りができて本当によかったと語っていたようです。
この件があったからか、美川憲一さんは、優しく生きようと感じるようになったそうです。人から裏切られたこともあったけれど、恨まないことを強く思うようになったようです。
美川憲一さんの現在
複雑な生い立ちの美川憲一さんでしたが、現在はどうしているのでしょうか。
美川憲一さんの2人の母親「以し子」さん「米子」さんの現在
美川憲一さんの実母の「以し子」さんは、86歳、養母の「米子」さんは84歳で亡くなっています。美川憲一さんが自宅で介護し、看取ったようです。
一緒に生活すると、姉妹でも性格が違うので、大変なことも多かったようです。でも、2人の母親からは「いろいろ苦労があったけれど、あんたのおかげで贅沢させてもらって、人生幸せだったわ。ありがとう」と感謝された。美川憲一さんは、悔いなく親孝行ができたそうです。
2人の母親のために建てた世田谷の豪邸は手放して、現在は都内のマンションで一人暮らしをしているようです。
美川憲一の結婚の可能性
美川憲一さんが結婚する可能性はほぼゼロと思います。美川憲一さん自身が他人と暮らすのは難しいと言っており、老人ホームにも入るつもりはないようです。もともと女か男か分からないから、浮いちゃっていじめにあうかもしれないと冗談も言っていました。
まとめ
美川憲一さんに子供がいない理由と、生い立ちについてまとめました。
コメント